小学時代の野球部監督から学んだこと。そして英語学習と仕事、について。

先日小学野球部時代の監督に再会する機会がありました。そこでずっといつか聞きたいと思っていた質問をぶつけました。その時に返ってきた返事はとても意外なもの。しかしそそれが英語学習にも経営にも、全てに共通した大切なものに対する気づきを深めてくれました。

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先日、小学そして高校と野球部で一緒だった仲間の結婚式があった。その2次会の席に、小学時代の野球部監督が来てくれた。その監督と、大人になってから初めてゆっくり話すことができた。その監督は私たちのチームが6年生のときに監督に就任した。5年生の時もまあまあ強いチームだったのだが、せいぜい「市内では強い」レベルでしかなかった。それがその監督がやってきてからぐんぐんと強くなった。

そして練習試合を含め無敗のままトーナメントを勝ちあがり、気がついたらその夏の全国大会にまでコマを進め、結局全国ベスト8にまでなった。野球が弱い新潟県だから小学生とは言え全国でベスト8になったことは当時結構話題になった。本当によくまとまった良いチームだった。

その小学校を卒業してから、25年間、ずっとあることを「監督にぜひ聞いてみたい」と思っていた。今回、そのあることを監督にゆっくり聞いてみる機会があったのだ。

その監督が教えてくれる練習方法はとても理にかなっていて、効果的だった。その練習方法で、特に守備力は急速にアップした。全国ベスト8になるまでの道のりの中で、「ここでホームインされたら負ける」という場面が何度かあった。でも、そういう場面であわてることなくしっかりとアウトにしてきた。

その後、中学・高校と野球を続けたが、小学校のこのときの練習が、一番洗練されていた。塁間にランナーを挟む「挟殺プレー」などは、今、プロ野球のプレーを見ても、小学のときのうちのチームのほうがうまかった、とひいき目抜きにして思う。

「どこでこういう練習方法を学んだんですか?」

私がずっとこの監督に聞いてみたかった質問は「どこでこういう練習方法を学んだんですか?」である。そもそもこの監督は自分が小学生のときに少し野球をしていただけで、それ以降は学生時代バスケットボールをしていたというのである。中学でも高校でも行われていなかった練習方法をどこで身につけたのだろうか。

どこか県外の「野球の教え方教室」みたいなものに通ったりしたのだろうか? それとも本や何かで情報を集めたりしたのだろうか? ずっと不思議に思っていたのだ。その疑問を25年経ってやっと直接聞いてみることができた。25年間聞いてみたかったこの質問に対して、監督から返ってきた答えは意外なものだった。「どこでも学んでないよ。」

どこでも学んでない?! そんなはずはない。だって、中学の練習よりも、高校の練習よりも小学校のときの練習は、ずっと進んだものだったんだ。

「いや、ただ、試合に勝つ、ということを考えてさ、試合でもっとも必要な場面はどこか、とか、一番良くあるケースは何か、ということを考えて、それをもとに練習を組み立てて、大事な順に練習をしていった、というだけなんだよ。」

そう言うのである。ちょっと驚いた。

「ただ、野球は好きだったからね。ずっとプロ野球とか見ていたよ。で、見ながら、こういうプレーが一番大事だな、とか、じゃあ、こういう練習をするべきだな、とかいろいろ考えていたよね。」

そうか。そうやって考えれば、誰に教わらなくても、ああいう練習法は自然と思いつくものなのか。うーん、それにしても少しは参考にした本とか何かがあると思っていた。でも、そういうものが何にもなかったとは、驚いた。そういえば、この監督が本当に口が酸っぱくなるくらいよく選手たちに言っていた言葉がある。

「練習のための練習はない」

「練習のための練習はない。」これがその言葉だ。小学生のときは意味がよくわからなかった。わからなかったけど、なんだかずっと頭と心に残っていた。大学生くらいになったころ、ふとこの言葉の意味がわかった。「練習のための練習はない」これは考えれば考えるほど意味の深い言葉だ。野球の練習をしていると、つい「試合のための練習をしている」ということを忘れてしまうことがある。

監督に怒られないために、先輩に怒られないために、練習しているときがある。シートノックをつつがなく終わらせるために、上手にキャッチボールするために、練習しているときがある。本当は「試合に勝つため」の練習なのに、いつのまにか「練習をそつなく終わらせるための練習」になっていくのだ。試合のことなど練習中にほとんど考えなくなっていってしまうのだ。これはとっても怖いことだ。だけどとってもよくあることだ。

「練習のための練習」を続けていればおそらく「練習」はうまくなるだろう。でも、いくら「練習」がうまくなっても、試合では力が出せない。「試合のための練習」をしていないから、当たり前だ。こういうことにならないように監督は「練習のための練習はない」と僕らに何度も何度も言っていたのだ。そして「なんのために今これをやっているのか?」を常に考えることを求めていたのだ。

「なんのために今これをやっているのか?」をずっと考えていたから、あんなレベルの高い練習方法を監督は思いついたし、「なんのために今これをやっているのか?」を考えながら練習をしていたからぼくらは短期間であんなに強くなったのだ。

「なんのために今これをやっているのか?」

「なんのために今これをやっているのか?」これは自分が仕事をする上で、常に自分に聞き続けてきたクエスチョンだ。自分で英語などの学習をする時にも聞き続けたクエスチョンだ。そしてソフィーの生徒たちにも常に問いかけ続けてきたクエスチョンだ。こういうクエスチョンの答えを探すことははじめのうちはとても面倒くさい。短い目で見ると、とても効率が悪いように見える。でも、やっていることの意味がわかるといつまでもやる気が続くし、変な方向へぶれることがない。結局長い目で見ると、非常に効果が高い。

小学校のとき、監督に言われ続けた「練習のための練習はない」という言葉。それが体のどこかに染み付いていて、自分はいつのまにかこういうことを強く意識するようになったのかもしれない。野球は高校生まででやめてしまったけど、監督に教えられたことは違った形で自分の中で生かされてきたのかもしれない。

監督とはじめてゆっくり話をしてとてもうれしかった。その話の中で、これからも「なんのために今これをやっているのか?」というクエスチョンを自分に問い続けていこう、と思った。そして監督が僕たちにしてくれたように生徒やスタッフにも「なんのために今これをやっているのか?」を考えることの大切さを伝えていこう、と思った。英語学習にしても仕事にしてもそれがすごく大切だ、ということをこれからもあきらめずに話していこう、と思った。

 

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